わたしの中の携帯電話の話

1990年代の携帯電話

東京の神田で働いていた1990年代後半、わたしは企業に電話機を売る仕事をしていた。
一般家庭向きの電話ではなく、企業向けに何回線も利用出来る電話機を売るのだ。
ちょうど携帯電話が一般庶民にも出回り始めた頃で、わたしも何台か携帯電話を売った。
当時携帯電話機は1台15万円もした。

ダサイ折りたたみ式の携帯

やっと庶民に手が届く範囲になったとはいえ、1台15万。かなり高値の花だ。
NECや富士通、パナソニック、三菱電機、シャープ、京セラなどが主なメーカーだった。
後にブレイクする折りたたみ式の携帯電話機をNECが出していたのがこの頃だ。確かN101という機種だった。ただN101は人気がなくダサイというイメージ。パナソニックや三菱あたりがかっこいいというイメージだった。

当時の広告

もちろん機能は電話機能のみ。
インターネットなど使える以前の話だ。メール機能なんかあるわけがない。繋がる範囲も都市部のみ。現代からすれば驚きの機能と価格だろう。

今ならとりわけディスプレイの大きさや綺麗さ、処理時間の速さなどパソコンのような機能を競い合っているが、当時の携帯電話で競っていたのは、電話番号のメモリ件数だった。要するに、名前と電話番号が登録できるあれだ。しかも登録している電話番号は、一般電話の番号が多かったと思う。
「メモリ件数300件!」などと誇らしげに広告に謳われていた。

ヤクザ屋さんと携帯

本当に電話をするためだけの理由で、10万円以上の大金をはたいていたのだ。月々の金額もばかにならなかったに違いない。

一般庶民に携帯電話が手が届くようになったとはいえ、最初に持ち始めたのは、ちょっとした企業の社長さんだったり、ヤクザ屋さんだったりした。
わたしは一度、東京の錦糸町にあるヤクザ屋さんの事務所にうっかり入ってしまい、一台買ってもらったことがあった。
ヤクザ屋さんの最初の一声は、
「盗聴器とか売ってないの?」
だった。

若いおねえさんやお兄さん親切丁寧に教えてくれる携帯電話ショップなどなかったので、携帯電話の使い方を教えるのは売った方のわたしたちだった。売った先の自宅までおじゃまして使い方を教えるのだが、わたし自身持っていない機械なので、取り扱い説明書とにらめっこして冷や汗をかきながら教えた記憶がある。

ある社長さんのお宅にお邪魔して教えたときなどは、携帯電話を持って100mくらい外に出て行って社長さんの自宅まで電話をかけた記憶がある。「聞こえますかー」って感じだ。
ヤクザ屋さんのマンションに携帯を届けたときは、上半身いれずみをあらわにしたヤクザ屋さんに携帯電話の使い方を教えたこともあった。

想像出来ない未来

携帯電話を扱っていた当時のわたしには、未来はワクワクするものに見えていた。
ドラえもんの道具を手にした気分だった。実際に携帯電話は、わたしの想像以上の進化を現在でもとげている。携帯電話が道案内をしてくれるなんて、一体誰が想像しただろう。

ひとつだけ残念に思えるのは、みんなが街をこんなにもうつむいて歩くようになってしまったことだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました